パンクロックと夜明け前

21さいの生存記録

お笑いにおける「やけくそ」と「めちゃくちゃ」について

私はお笑いにおける「やけくそ」と「めちゃくちゃ」が大好きだ。

 

例えば、

めちゃイケで加藤さんの新居がめちゃくちゃにされたり

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ゴッドタンの自分の髪をどれだけ切れるか対決とか

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27時間テレビでさんまさんと岡村さんの車をたけしさんがめちゃくちゃにしたり

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こういう笑いが大好きだ。

(こうして見るとたけしさん率が高いな 御家芸!)

 

追い込まれて「やけくそ」になった芸人の爆発力ほど凄まじいものはないし、スケールのデカいもの(家とか車)が「めちゃくちゃ」になっていく様子はものすごく昂ぶる。

(もちろんこのような笑いは受け手と仕手の間に信頼関係があってこそ成立するものである。一般人がマネをしてもそれは笑いでもなんでもない。)

 

「やけくそ」は笑いを狙いにいっていないという点で強い。追い込まれて追い込まれて爆発した結果0か100かの極端な笑いになるが、100に針が振れた時の爆発力、威力は凄まじい。場合によっては100が200にも300にもなり得る。

 

「めちゃくちゃ」は「テレビってすごい!!(CV安村昇剛)」と思わせてくれるから好きだ。特に前述のように車や家などをめちゃくちゃにしているのを見ると「こんなにスケールが大きい物をいとも簡単にぶっ壊してる!!テレビってすげぇ!!!」と思う。普通に生活をしている上では出来ないことをテレビは軽々と、しかもバカデカいスケールでやってのける(しかも面白い)。その様子は異様なまでの爽快感と高揚感を与えてくれる。

 

そして「やけくそ」と「めちゃくちゃ」が組み合わさった時、とんでもない破壊力の笑いが生まれる。「やけくそ」になった結果「めちゃくちゃ」にしてもいいし、「めちゃくちゃ」になった(された)結果「やけくそ」になってもいい。それらの後、焼け野原になったスタジオやロケーションを見るのも好きだしその焼け野原に困惑する他の芸人の様子を見るのも好きだ。

 

これからもテレビは「やけくそ」で「めちゃくちゃ」な笑いを放送し続けて欲しい。そんな笑いを私は最高に愛している。